思うままに自転車を走らせて、自分が行きたいところに行ける。それが自転車との出会い。

ロードバイクは、菊池仁志が自転車でのスピード感に目覚めた最初の道具です。元競輪選手がどうしてロードバイクなの?に、少し触れてみました。

中学時代

自転車にはまる

中学時代にバイト代(新聞配達と倉庫の荷分け作業)と昼飯の弁当代を削って貯めたお金で部品を調達し、1年ぐらいかけて自転車をくみ上げた。その自転車で四国を1周し、さらに自転車の楽しさにはまる。

高校時代

ロードレースを走る

高校生になってから、バイトで貯めたお金でロードバイク(CHERUBIM ケルビム 今野製作所)を購入。そのスピード感に驚き、そのスピードを競ってみたいと思うようになり、すぐに、草ロードレースに参加。輪行バッグを担いでフェリーに乗って西日本を回った。そのうち、実業団レースにも参加するようになり、その当時のトップレーサーたちとしのぎを削る。

高校に自転車愛好会を立ち上げる

ロードレースでの活躍が認められ、高校に自転車競技愛好会を立ち上げ、インターハイ、国体に参加。高校2年生の長野国体ではトップ集団で帰るもゴール前で転倒。上位入賞を逃す。この頃、ツール・ド・フランスのレース映像がNHKで放映され、当時のスター選手 イノーの活躍にツールに出たいと本気で思う。しかしどうしたらヨーロッパに行けるのかもわからず夢だけが先行。
※松山工業高校自転車部の前身となる。

競輪選手を目指す

家の事情もあり、進路を決める高校3年生のときに担任の先生に勧められ、競輪選手を目指す。高校3年の11月 日本競輪学校を受験 1次、2次試験ともにベストタイムを更新 一発合格する。

競輪の世界へ

日本競輪学校で

日本競輪学校では脚力を上げる実技に加え、台上試験機による解析*、スポーツ医学などの学科講習も。全寮生活の1年間、厳しい訓練に明け暮れる。 *当時世界選手権スプリント10連覇の中野浩一さんと同じレベルのペダリングと教官に褒められる。卒業後、1年10か月で当時の最上級班S級1班(4200人中130名)に昇格。

長男とヨーロッパロードレース事情

長男が自転車を始める

40歳の頃、長男「誠晃」がプロロード選手を目指して高校で自転車を始める。高校卒業後は自転車推薦で大学に進学。1回生のときにインカレ チームパーシュートで準優勝。2回生のときの全日本選手権で新城幸也選手と一緒に逃げるも力負け…

長男の渡欧

…日本に居たのでは、いつまでたってもヨーロッパのプロロード選手になれないと確信。大学を中退後、福島晋一氏、浅田顕氏の尽力でフランス ブルターニュ地方 バンヌのチームに所属。コーチ ヤン氏の元で急成長。フランスナショナルカテゴリーのレースで独走優勝。奇しくもこのレースは、昔NHKで見た当時のスーパースター イノー氏の記念レース。なにか縁を感じた。またトップカテゴリーのレースでも入賞を繰り返し、翌年プロに昇格。フランスで2年、イタリアで3年走り引退。こうして、ロードレースの本場ヨーロッパのトレーニング方法などあらゆる情報を長男から得る。

菊池誠晃:D'Angelo Antenucci NIPPO時代
シクロワイアード「パナレーサー ホイールトーク vol.23」 外部サイトへ

競輪を引退して…

S級在籍のまま引退

50歳までS級に連続で在籍のまま2011年11月29日に引退。S級在籍期間は28年8か月に及ぶ。

2011年11月23日付愛媛新聞:記事

実業団ロードレースチームの総監督に就任

引退後、競輪という職業で生活させてもらったお返しの一つとして実業団自転車競技チームの監督を引き受け、フランスに選手を送り、プロとなるお手伝いを始める。ロードと競輪の垣根をなくし、お互いの情報交換ができる環境を作りたいという思いから、このチームにトラック班を創設。競輪のトップレーサーも在籍してくれた。
4年間お手伝いをした実業団チームを退団(2015年12月末)。

ロードバイクやTTバイク、トラックレーサーのフィッティング、またスキルアップのためのトレーニングを指導するK-FITTING®バイクスクール(ヒトシプランニングオフィス)を立ち上げる。